2020年02月02日

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   人生に目的を持てない独身男性と宇宙人との出会いを描く
     SFファンタジックコメディ小説
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2009年03月03日

6−1.マドンナのひざの上で アイアムアキャット no.28

 マドンナが人間のことについての不思議な話をしてから、僕たち2人は長い沈黙の時間に身をゆだねた。太陽の位置も、都会の家々より何とか高度を維持していたが、その熱と光の強さは明らかに衰退の色を濃くしていた。
 僕はマドンナのひざの上にゴロンと横になって、見るとはなしに、床の模様や壁のシミなどに視線を流していた。時折吹いてくるそよ風が彼女の髪をゆすり、その先端が僕の背中などに触れて、ピクンピクンと痙攣を起こしていたが、それでも、ほとんど同じ姿勢でじっとしていた。
 マドンナは……と言うと、やはり、先ほどの姿勢からピクリとも動かず、視線も窓の外の景色に固定されていた。ただ、手のひらの上の例の小箱だけがコロコロと転がされていた。
 長い沈黙の果てに、突如トンネルを抜けたように我に帰った僕は、マドンナの表情が急に見たくなり、下からそっと見上げてみた。相変わらず、マドンナは外の景色を見つめている。以前にも、彼女のそんな虚(うつ)ろな仕草を何度か見たことがあるが、その度に彼女をそっと観察するのだった。
 虚ろな顔をした彼女は何故かことのほか美しく見えた。
 一体彼女はどこの国の人なのだろう。髪の毛は金色。目はサファイヤのような色。肌は白く透き通っている。日本人でないことだけは確かだった。
 彼女は自分のことをちっとも教えてくれない。分かっていることと言えば、父も母も彼女が幼いときに亡くなったということ。何か心の病でこの部屋に閉じこもりっぱなしだということ。あまり見かけないが、おばあさんと二人でこの家に住んでいること。それぐらいしか知らない。
 そりゃ何度も尋ねてみたさ。彼女のことは何でも知っておきたかったし、少しでも彼女の力になってあげたいと思ってたし。でも、マドンナはほとんど自分のことは語ってくれないんだ。そういう話題になりかけたら、すぐに気づいて違う話を始めるんだ。
 彼女が言いたくもないことをしつこく訊くのは失礼だと思ったから、そんな彼女を見ても、少し彼女の瞳を凝視するだけで、それ以上は追求したことはなかった。彼女には、何か暗い過去があるに違いなかった。
タグ:猫小説
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2009年02月23日

5−4.マドンナと…(4) アイアムアキャット no.27

utumuki.kuro.jpg 『愛したいの。愛されたいの。理解したいの。理解されたいの』とマドンナはつぶやき、ひとつため息をついて、
 『みんなそう願っているの。みんな、みんなそうなのよ。本当なの。クロ様のうちの凡太郎さんだって、芋子さんだって、お父さんも、お母さんも……。でも、ダメなの。どうしてもダメなの。愛することも、理解することも、今の人間にはどうしてもできないの』
 彼女は持っていた小箱を机の上にぽろりと落とした。両手の拳(こぶし)を握りしめて、まぶたを強く閉じた。
 僕は彼女の仕草をひとつひとつ視線で追って、何とか彼女の苦悶を和らげてあげたいと思ったが、なすすべもなく、その場に呆然(ぼうぜん)としていた。時だけが音もなく流れているのが感じられた。

タグ:猫小説
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2009年02月14日

5−3.マドンナと…(3) アイアムアキャット no.26

 『う、うん。えーと、忘れちゃったじゃないか。あれ、何を言おうとしてたんだっけ?』
 『毒ガスが……』と、マドンナが口を挟む。
 『そうそう、いや、毒ガスはどうでもいいんだ。要するにだなぁ、人間というのはわけがわからん、ということを言いたかったんだ、うん』
 『ふふふ……、また人間批判ですのね。クロ様が人間嫌いになるのも無理のないことですわね。お察ししますわ。でも、……』と彼女は言って、右手で髪の毛をすくいあげ、
 『でも、もともとは違っていたんですのよ。それは言葉を持ち始めた時からですの。ああ、言葉を持ったばかりに、みんな大変な不幸を背負い込んだんですのよ』と続けた。
 僕は彼女から何度も同じことを聞いた。その度に、僕は彼女の目を見つめた。何故って、彼女はこういう話をするときはとても確信を持った話し方をするから。まるで、人間が言葉を持つ以前と持ったとき、そして持ってから変貌していく一部始終を彼女自身の目で確かめたとでも言いたげに。
 『君はまるで人間の進化の歴史をその目で見てきたような言い方をするけど、不思議だなぁ、確かに君は何かを知っているような気がする。でも、……、そんなバカな!君は現にここにこうして僕の目の前で同時代を生きているわけだし……、何かとんでもない根拠を君は知っているのかい?』
 しかし、彼女は僕の質問にはかまわず、机の上の例の小箱を左手に取り上げて、
 『みんな、ただ恐いだけなの。おびえているの。科学万能主義の人も、神様を否定する人達も、もちろんそうじゃない人達も。はっきりとは分からない何か、確かに知っているはずなのに、いざ言おうとすると目の前が真っ暗になってしまう何かに、死ぬほどおびえているの。
 その恐怖心が人を動かすのよ。何もかもそれから発している、って言っても過言じゃありませんわ。
 それは言葉を持った時から始まったのですわ。言葉を持つことによって人は時間を持ちました。ところが、その時間を持ったばかりに、人は永遠の恐怖から狂ったように逃げ惑う哀れな生き物に堕落してしまったんですの。
 いいえ、クロ様。人間は悲しい生き物なの。とっても悲しい生き物なの。分かってあげてください。信じてあげてくださいね』
 マドンナの長い髪が左右に大きく揺れた。マドンナは本当に悲しそうだ。どうしてマドンナは人間のことを話す時、いつも居ても立ってもいられないように悲しむのだろうか。
 人間なんて、みんな自分のことしか考えてないつまらない生き物だと思うんだがなぁ。不幸になったって大騒ぎするけど、僕から見るとみんな自業自得だと思うんだよなぁ。人間なんてどうでもいいじゃないか、って……。
 だが、マドンナは違う。この人は、僕の家族や隣の叔母さん達と同じ人間なんだろうか……?ひょっとして……?
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2009年02月10日

5−2.マドンナと…(2) アイアムアキャット no.25

 『あ、いや、つまり、比喩だよ。毒ガスみたいなもんだ、っていう意味。あんなくさいの知らない、経験にない。自分の鼻をメチャクチャにこすりまくったほどなんだからね。必死で逃げたよ。
 あれ、笑ってるね、マドンナ!本当なんだから、大げさじゃないんだよ!』
 マドンナは笑い転げて、終いには苦しいのか机の上に突っ伏してしまった。大きく肩を揺らして、背筋が痙攣(けいれん)している。その振動に合わせて彼女の髪の毛も微妙に揺れている。
 『ああ、ひどいなー。僕はありのままの事実を言ってるんだぜ。誇張してないよ。
 あれ、まだ笑ってる!ったく!』
 彼女はようやく顔を上げた。目から涙が出ている。顔も紅潮している。まだ笑いが止まらないらしく苦しそうだ。
 『ああ、……ごめんなさい……ああ、苦しいわ、笑いすぎて。でも、あなたの言い方があんまり面白いんですもの。こんなに笑ったのは何年ぶりかしら』
 僕は顔を斜めに傾けて、彼女の顔をのぞき込んだ。すると、失礼にも、また彼女は笑い出した。
 『何だよ!まだ笑ってる。いい加減にしてくれよ、僕はちっとも面白くない、真剣な話なんだぜ』
 と言いながら、僕はマドンナの右腕のすぐ横に移動し、腰を降ろした。
 彼女は、さすがに失礼だと思ってくれたのか、振り切るように背筋を延ばし、またいつもの涼やかな眼差しを僕に向け、微笑んだ。
 『分かっていますわ。あなたが誇張して言う方じゃないこと。お話の続きを聞かせてください』と彼女はきっぱりと言った。まだ少し笑いをこらえているような雰囲気をどこかに残してはいたが。
タグ:猫小説
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2009年02月04日

5−1.マドンナと…(1) アイアムアキャット no.24

 マドンナはいつものように本を読んでいた。西洋風の少し大きめの机の上には、古めかしい本が一冊と傘のついた電気スタンドがひとつ、そして例の小箱があるばかりだ。
 僕は彼女に気づかれないように、そろりそろりと近づいていった。出窓の台に腰を降ろして、彼女をしげしげと眺めた。
 彼女の頭髪はてっぺんで二つに分けられ、その両端は胸の辺りで終わっている。本を読んでいるので、髪の毛が前にだらりと垂れ下がり彼女の顔を半分見えなくしている。目は字を追っているらしく、激しく上下している。
 『また何かありましたの?』
 突然彼女の声が僕の頭の芯で響いた。マドンナは気づいてない、と思いこんでいたので、びっくりして心臓がたたいた。
 『い、いや。その、ああびっくりしたなぁ、もう。知っていたのか。心臓に悪いよ』
 『あら、あなたこそ、こっそり入ってきたりして……』
 マドンナは顔を上げ、左右の髪の毛の束を順に後ろに送った。
 『あ、いや、別に……、びっくりさせようと思っていたんだが、逆になっちまったなぁ。君の勘(かん)の良さには、ただただ驚くばかりだ。それに比べてうちの連中と来た日には、目は開いてるんだが眠っているのと同じだ。
 ねえ、マドンナ、聞いてくれよ。うちの凡太郎は受験勉強とかいうバカな遊びにこっちまって、おかしくなっちまったんだ。
 それが変な遊びなんだ。紙の上に何か意味のない落書きをして、誰もいないのにぶつぶつ独り言言って、5分もしないうちに寝てしまうんだ。ま、静かになっていいんだが、2、3時間しこたま眠ったかと思うと、突然ムクッと起き上がって雄叫びを上げるんだ。
 俺はやるぞぉ!とか、いち、にぃ、さん、元気ですかぁー!とか全然前後のつながりのない言葉を吐くんだぜ。その度に、僕はびっくりして逃げまどうんだ。もちろん心臓はドキドキ、しっぽはピン、毛は逆立ち。
 もっとも、最近はかなり慣れたけどね、うん。
 それから、聞いてくれよ、マドンナ!芋子のやつもひどいんだ。僕に毒ガスを吸わせやがったんだぜ』
 『えーーっ!?毒ガスですってぇ!……』と、マドンナは目を丸くして、体を乗り出して言った。
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2009年02月01日

4−7.僕の同居人(7)アイアムアキャットno.23

IMG_0227.JPG 走りながら、僕は無性に腹が立ってきた。何に、って?自分にだ。猫の習性にだ。何でクンクンと臭いをかいでしまったのか!考えるより先に、本能的にかいでしまった自分が悲しい。
 階段を降りる。まだ体の回りに気体がまとわりついてくる。ぶるぶる、っと体をふるう。だめだ。とにかく芋子の部屋から遠ざかるしかなさそうだ。
 階下に降りた。台所の方から、トントンと何かを刻む音がしている。お母さんの真平鈍江が夕食の用意をしているようだ。魚を焼いている臭いもする。この臭いから察するに、養殖のハマチか何かだな。
 台所を少し覗く。お母さんが何故かこっちを振り返った。ぞっ!すぐに視線を避けて、僕は飛び跳ねるように翻(ひるがえ)り、玄関の方に向かった。とにかく外に出て、新鮮な空気を吸おう。
 外は夕焼けで、街が赤っぽく見えた。うーん、すっきりした。やっと芋子の悪夢、悪臭?から解放された、って感じがする。ちょっとしばらく、この家から遠ざかりたかった。
 ああ、もうイヤだ、こんな家族。人間なんて大嫌いだ。
 あれ、僕はどこに行こうとしているんだっけ?ああ、そうか、マドンナに会いに行きたいんだな。そう思うと早く会いたくなって、嬉しくなって僕は小走りでかけて行った。
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2009年01月26日

4−6.僕の同居人(6)アイアムアキャットno.22

 芋子は鏡に向かうと、不思議な儀式を始める。これが実に不思議なのだ。 彼女は鏡に向かって、媚(こ)びるような目をしたり、斜め下を寂しそうに見つめてみたり、流し目をしたり、おどけた目をしたりする。その目にあわせて体も色んなポーズを取る。髪の毛を後ろに束ねて、体を斜めに構え、両足を組んだり、斜めにしてみたり、かかとをキュッと上げてみたり、……。
 子供の頃の僕は、そんな彼女の動作を見て、鏡の向こうに誰かいるのだろうか、と真剣に思ったものだった。実際に鏡の向こう側をのぞき込んでみたが、誰もいなかった。彼女は一体、誰に向かってポーズを取っているのだろう、いまだに分からない。それとも彼女は幻想を見ているのだろうか。
 しかし、もう慣れた。これは何かの儀式をやっているのだ、きっと。
 そんな彼女のいつも通りの仕草を片目で見ながら、僕は床にゴロリンと寝転んだ。多彩なポーズを作っては悦に入っている彼女をぼんやりと見ていた。「よくもまぁ、飽きもせず、毎日ご苦労さんなことだなぁ」などと思いながら……。
 僕の存在など意識の外らしく、彼女は延々とやっている。一通り終わったら、今度は立ち上がって、後ろを向いてつま先立ち、上半身は鏡の方にひねって両腕を頭の後ろに持って行く。そして、ウィンクして終了するのだ。
 今日も同じように両腕を後ろに持ち上げた。
 その時、異常な音が聞こえた。ブリブリブリという厚紙を引き裂いたような奇妙な音が僕の耳を刺激した。その音は数秒続いた。聞き慣れぬ音に、僕は顔を潜望鏡のように持ち上げ、その発生源を探知しようとした。生暖かい空気が僕の顔を包んだように思えたので、本能的にクンクンと臭いをかいでしまった。
 あまりの不快な臭いに僕は自分の鼻を両手でメチャクチャに叩いた。
 「うう、たまらん!な、なんじゃぁこりゃぁー!」
 僕は全力で走って退散した。あっちこっちに体をぶつけながら……。
タグ:猫小説
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2009年01月23日

4−5.僕の同居人(5)アイアムアキャットno.21

 「あー、あたしの大切なカーディガンの上に勝手に乗らないでよー」と言いながら、芋子は片手でさっと僕を払いのけた。僕はどさっと床にたたきつけられた。
 「なに大げさにこけてんのよー。あたしの服の上に乗らないで、って言ったでしょ!ぅん、もー」
 しまった、忘れていた。彼女は僕の毛が服に着くのを極端に嫌っているのだった。とっさに払いのけられたので、うまく着地できなかった。右手をくじいたようだ。痛む。とりあえずなめておこう。
 「あー、つかれた!」
 そう言いながら彼女はカバンをベッドの上に放り投げた。
 僕は、その放物線軌道を目で追った。ベッドの上で軽く跳ね上がるカバンを見ていると、その上に次から次と色々なものが飛んできた。いつものことが……。
 セーラー服。次がスカート、シャツ、靴下。リズミックに飛んでくる。その放物線軌道をひとつひとつ、つい追ってしまう。そして、最後に芋子の体が仰向けに飛んでくる。
 「あー暑いなぁ、もう。疲れたなぁ」
 ベッドにゴロンと寝ころんで大股を開き、両手を頭の後ろに組んで天井を見ている。その視線を追う。そこにはアイドル歌手のポスターが斜めに貼ってある。彼女はその写真を見てうっとりしている。自分のためにアイドル歌手が微笑んでくれていると錯覚しているようだ。
 それにしてもだ。何というはしたない格好だ。人前の時の彼女との落差には、ただただ驚くばかりだ。ボーイフレンドの節穴君が見たら、さぞかしがっかりするだろうな。彼は彼女に首ったけで、芋子のことを世界で一番すばらしい女性だと思っているメデタイやつだ。
 芋子は男の子を手玉にとって、優越感に浸っているだけなのだ。どんな男の子にも気があるような振る舞いをして、相手がそれに翻弄(ほんろう)されるのを見て喜ぶサディストなんだ。節穴君は彼女に自分だけ好かれている、と思いこんでいる。まぁ、騙される方も騙される方なのだが……。
 彼女はしばらくポスターを眺めていたが、当然むくっと起き上がり鏡台の椅子に腰掛けた。背筋を伸ばし、両足はさっきと違い、きちんとそろえられている。そして、肩の下辺りまで延ばされた髪の毛を後ろにささっとすくい上げた。
 さあ、始まるぞ、芋子の病気が……。

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2009年01月17日

4−4.僕の同居人(4)アイアムアキャットno.20

 凡太郎は僕を勉強机まで運んで、まるで置物のように机の上に置いた。ビョーキのつきあいをしばらくやらされそうだ。だが、うん、心配ない、どうせすぐに鼻提灯(ちょーちん)だ。
 「クロ、ぼくはやるぜ!見てろよ。来年の今頃は、ピカピカの大学生だ。合コンが楽しみだぜ。考えただけでゾクゾクするな。分かるか、クロ?わっかんねぇだろーなぁー、ま、所詮猫には無理なことさ。おまえも人間になりたいだろうな、はっ、はっ、はっ」
 アホか、こいつ。合コンしかないのか、凡太郎の頭の中!人間に生まれなかったこと自体が幸福の絶頂だ。
 「さ、やるか!いつまでも頭の悪い猫とつき合っていてもしょうがない。今から、苦手の数学を強行突破!」と彼はいいながら、机をドシンとたたいた。そして、何やらまたノートに落書きを始めた。
 インテグラルとかエックスイコールゼロカラムゲンダイとか、意味のない雄叫びを上げながら眉毛をへの字にして落書きをやっている。はっは、5分とは持つまい。
 案の定だ。今日は特別早くて3分20秒。垂れたよだれがノートにべったりと模様を作っていく。幸せなやつだな、凡太郎は。
 机に鼻をこすりつけて眠っている凡太郎のわきをすりぬけて、僕はのそのそと彼の部屋を出て行った。背後で彼のすさまじいいびきの音が鳴り響く。まるで猛獣だ。
 凡太郎の部屋の隣は芋子の部屋だ。芋子がいないのを確認して彼女の部屋に入る。鏡台の横のたんすにジャンプ。そこには窓があって、ここら辺が一望できる。と言っても、屋根がいっぱいあるだけなんだが、人間を見なくてすむ。そこら中で遊んでいる雀(すずめ)達、遠くを飛ぶ渡り鳥達、イタズラの好きなカラス達……、人間よりよっぽどかっこいい。移ろい行く雲や、雨も楽しい。
 そんな景色に飽きたら、両手を伸ばして、その上にあごを乗せ、うたた寝だ。芋子のカーディガンが気持ちいい。
 目の前の視界がぼやけてきた時に、芋子の声が階下から聞こえた。
 「ただいまー」
 続けて階段をドカドカと駆け上がる音。あ、やば、うるさいんだ、この娘は。早く、隠れなくては……と考えているうちに、芋子のセーラー服姿が目に入った。またしても、目が合ってしまった。
 
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